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明日に向かって

明日に向かって、夢を信じて 希望を持って生きていきたい。 自分の想った事、ニュースなど自分の購入した 商品の感想等雑多に書いていきます。

日本航空123便墜落事故から早24年が経ちました。

全乗組員524名、生存者4名、死者520名という
悲惨な航空機事故から早24年が経ちました。

日本航空123便墜落事故(にほんこうくう123びんついらくじこ)は、
1985年8月12日午後6時56分、日本航空(現:日本航空インターナショナル)123便、
東京(羽田)発大阪(伊丹)行、ボーイング747SR-46
(「ジャンボジェット」、機体記号JA8119)が
群馬県多野郡上野村の御巣鷹の尾根に墜落した事故である。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

「同機がしりもち着陸事故を起こした後のボーイング社の修理が不適切だったことによる圧力隔壁の破損が原因」とする航空事故調査報告書が1987年6月19日に公表され終了している。
事になっているが、遺族は再調査を望んでいる。

この事故により、歌手の坂本九さん、元宝塚歌劇団娘役で女優の北原遥子さん、21年ぶりのリーグ優勝を目前にした阪神タイガース球団社長の中埜肇さん、ハウス食品社長の浦上郁夫さんなど、多数の有名人が犠牲となった


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多くの犠牲者がでた一方で、難を奇跡的に逃れた有名人もいる。

元・宝塚歌劇団雪組トップスターの女優の麻実れいさんとタレントの明石家さんまさんは搭乗する予定だったが急遽搭乗便を一本早めたため、また当時フジテレビのアナウンサーだった故・逸見政孝さんは夏期休暇で大阪への帰省で搭乗する予定だったが、妻の勧めで直前に取り消し、東海道新幹線に移動手段を変更したことから難を逃れた。

また、渋滞に巻き込まれてタクシー等が間に合わず、乗れなかった人もいたという。

さて、この航空機の搭乗者リストに載っていても何らかの理由で名義を変更せずに
金券ショップに売ったり、その場で譲渡したり、乗れなかった場合でも
しっかりと名前は残る。

生存を絶望視されていた人がひょっこりタクシーで帰ってきて仰天
なんてこともあったそうな。

変わりに搭乗して犠牲になった方々はリストに載っていないので
遺族への連絡が遅れたりしたという。

なんせ墜落時の速度は346kt(640km/h)ともいわれている。
そんな速度の衝撃たるや、広島原爆の比ではないはずだ。

遺体の損傷も激しく、キャプテンの遺体は前歯5本のついた
下顎のみだったという……。

多くの謎と疑問(救助体制にあった米軍の申し出を断った理由。
もし受けていればもっと助かったのではないか…。
実際まだ墜落直後は生存者も沢山居たと言われています)を残した
この悲惨な航空機事故。
また、新たな残骸も見つかったそうです。
朝日新聞社、20年以上経て…日航機の残骸、新たに見つかる

亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします…。


日本航空123便墜落事故のwiki内容

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